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歴史文化施設

妙泰寺

慶長元年(1596)本妙院日安が白須賀潮見坂下(元町)に開基しました。宝永四年(1707)地震と津波によって白須賀宿が全滅し、妙泰寺も全壊したため、享保三年(1718)現在地に移りました。

妙泰寺のたぬき

妙泰寺には珍しい「狸塚」が祭られており、これにまつわるおもしろい話が残されています。明治6年(1873)ごろの妙泰寺は「藪くぐりの妙泰寺」といわれるほど、周囲をシイやケヤキに囲まれていました。裏山の中腹に、狸の家族が穴を掘って住んでおり、昼間は穴にこもり、夕方になるとお堂の縁の下にやってきて、子狸は門のところでよくすもうをとっていたそうです。妙泰寺には筆子と呼ぶ塾生が昔手習いをしていた「隠居所」があり、ある日そこの屋根替えをした職人たちが瓦のかけらなどを狸の穴めがけて投げつけました。するとその夜のこと、職人たちがおっさま(=住職)のところにやってきて恐怖にふるえていました。離れ家が大地震のように揺れてとても寝られないということでした。職人たちはおっさまのところで一晩を過ごし、その晩はそれっきり何も起こりませんでした。ある日おっさまが檀家に向かうときに狸の様子がいつもと違うことが気になりましたが、帰ってみると姿が見えないので心配して寺男に尋ねると「死んでしまいやがったんで前の沢に捨てた」と話しました。おっさまは狸の骸を拾ってこさせ、葬式を行いました。その後明治になり、寺男も寺を出ましたがその後何をやってもうまくいきました。またおっさまの孫も破格の出世をしました。これらは狸の報恩だとされ、今はかつて狸が夜になるとやってきたお堂の跡に「狸塚」を建てて、狸の供養が行われています。

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