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歴史文化施設

蔵法寺

平安時代790年ごろに前身となる寺が建てられ、慶長三年(1598)曹洞宗に改宗されてから法灯が絶えることなく現在に続いています。それより以前、徳川家康が竹千代と言われた天文十六年(1547)、今川氏の人質として駿府(現在の静岡市)に護送の際の宿舎が蔵法寺でした。このことから将軍家の小休憩所に定められ、慶長八年(1603)将軍徳川家康より寺領として朱印地二十三石を受けました。これによって当時の蔵法寺は大繁栄し、境内は街道を越えて遠州灘の海岸にまで接しました。堂塔も幾十塔を数え、参勤大名の武士や小者の控所など大規模な建物も設けられていました。住職は将軍代替わりの度に、御朱印状書き替えのために江戸城までを往復しました。その時の住職の乗り物である駕籠は、のぞき窓の簾が黄色の綾糸で編まれ装麗を極め、「黄のお駕籠」と言われ行列も美しく十万石の大名の格式を備えていました。現在将軍より与えられた朱印状の写し九通、御朱印状箱が残っています。

夏目甕麿の歌碑

「うつらうつら身をし思へは桜花 咲ける皇国に生れあいにけり」
白須賀の夏目甕麿は、歌人加納諸平の父で、家は酒造を営んでいましたが国学を修め、後に本居宣長の門下に名を連ねて国学の興隆に心血を注ぎました。

潮見観音像

山上から遠州灘の大海の潮を見るということから、潮見観音像と呼ばれています。また海上安全を願う漁民の習わしとして、遠州灘を行きかう船は必ず帆を下げ観音様の名前を念じて通り過ぎることとされていました。そのためまたの名を「帆下げ観音」とも呼ばれています。本尊は明治の末頃まで潮見坂の途中にあった観音堂にありましたが、今は蔵法寺の本堂に安置されています。境内には銅製の潮見観音像が建立されています。

所在地
所在地
湖西市白須賀5350-1
その他
その他
  • ■駐車場有
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